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洗濯機が家にないという事

無いと困るものはたくさん有るけれど、かつての三種の神器の一つで有る「洗濯機」が無いというのはかなり困る。そう、僕が住んでいる家には洗濯機がないのだ。別に僕の家のオーナーが貧乏って訳ではない。ただどうやら、「洗濯機なんていらないもんね」というポリシーの持ち主のようだ。ではどうやって、そのオーナーが洗濯しているのかというと、たまにランドリーに車で行って、全てやってしまう。でも、車のない僕には、家に洗濯機が無いというのはかなりの苦痛だ。

「そんなん、自分でゴシゴシ洗えばええやん」と言われるかもしれないが。一度覚えた猿やないけど、一度洗濯機を使ったことのあるものにとって、ゴシゴシは苦痛なのである。少なくとも僕にはね。昔、浴槽(アメリカのシャワールームにある、あれを浴槽って言っていいのかどうかはわからんが・・・)にお湯をためて、洗剤をぶちこんで、じゃぶじゃぶやった事があったけど、絞って乾かすのに、とてつもない労力を要求された。だからもうやんない。お肌にも悪いしね。

「じゃあ、どうすんねん」って言うと、仕方ないから週末に、学校の寮のランドリーに行って洗濯する。僕の家は学校まで歩いて10分という、グッドロケーションな訳だから、一見それはそんなに辛い(からいじゃなくて、つらい)事のようには思えない。ところがどっこい、それはなかなか労力を必要とする事である。まず、一週間分、もしくは二週間分の洗濯物を袋に入れて、歩きまわるってのが恥ずかしい。まるで泥棒のような格好である。次に、大学の寮に入るには、寮に住んでいるか、寮に住んでいるもののエスコートが必要だから、毎回、誰か友達を呼び出さなくてはいけない。次に、洗濯と乾燥の両方を、一つのマシンがやってくれる訳ではないから、30分後に入れ替えなければならない。この待ち時間が非常にもったいない。この間に寮の外に出ようものなら、また友達を呼び出さなければならない。そして今度は乾燥に45分。外に出ようものなら、またもや誰かを犠牲にしなければならない。そして毎回、洗濯・乾燥にそれぞれ、$1.25 とられる。まぁこんなふうに、洗濯は楽じゃないのである

で、思ったのが、身の回りのもので、当然のように使っているもので、その価値を忘れてしまっているものがたくさんあるのではないかということ。たとえば冷蔵庫とか、掃除機とか。

昔、松下幸之助がロシアの革命家に、「あなたはロシアの人民を開放したが、私は世界の主婦を開放した」と言った、というエピソードを聞いたことがあるけれど、当たらざるとも遠からずと言ったところである。感謝する気持ちを忘れるべきではないと思う。あー、しかし洗濯、面倒臭いなあ。
 

1/12/99

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