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1999年8月

2日
海に行って来ました。一泊しかしなかったけれど、色々遊べて楽しかったです。この前行った時にも感じたように、海は本当に広いなって思いました。当たり前と言えばその通りだけれども、海岸で押し寄せる波と遊んだり、ボートに乗って沖の方まで行ってみたりすると、その偉大さを思いっきり感じる事ができました。海だけでなく、自然ってのは本当に凄い。夜ホテルのバルコニーで、ぽっかり浮かんだ月を見ていると、それが笑っているような、泣いているような、もしくは何も考えていないような気がして、なんだか面白かった。車での帰りしなに嵐になって、雷と雨が凄かったんだけれども、昔家族で京都の比叡山に旅行に行った時の事を思い出した。あの時も凄い嵐だったな。とにかく自然にはかなわない。


 

3日

ちょっと忙しくなってきた。インターンのお仕事がたまってきたし、被爆者アメリカ遊説団の方々へのボランティア活動も、責任ある仕事だから緊張するし、夏の半ばまでに一冊のブックレットもつくらないと。

昨日はインターン先で早稲田と筑波大の教授に会って、話を伺った。政治学者である先生方は、若い世代の日本人の、政治に対する意識の低さを嘆いておられた。確かにそういう状態はいけないと思う。自分が住んでいる世の中をよくしたいと思うのであれば、皆でどうしていくかを考えるべきだ。そして自分の意見を持って、積極的に政治に参加していくべきだと思う。少なくとも興味を持たないとね。

昨日はたくさんお客さんが来て大賑わいでした。僕は遊びに行くのも好きだけれど、遊びに来てくれるのも大好きです。尾を振りながら歓迎しますよ。



 

4日

昨日3年ぶりにうなぎを食べた。アメリカ来てから、もしかしたら一回ぐらい食べたことがあったかもしれないけれど、記憶にある限りでは初めてだ。やっぱり日本食が一番だ。インターン先のボスが食事に連れて行ってくれたんだけれども、とても嬉しかった。
昨日は今日の朝締切の原稿があったので、夜10時ぐらいまで働いていました。もうあと今日を含めて三日しかないから、色々教えてもらおうと思っています。


 

5日

僕はじいさんのように早寝早起きだ。遅くても夜11時には寝て、朝6時には起きる。これはあくまで基本型なので、たまには夜2時ぐらいまで起きてたり、逆に夜9時ぐらいから寝たりする。昨日はどちらかと言うと後者で、10時には爆睡していた。

僕が言う爆睡とは、本当にふかーい眠りであって、夢なんか全然みない。誰かに起こされようものなら、滅茶苦茶調子が悪くなる。昨日も caller ID によれば、どうやら10:13、10:34、11:24、12:16に電話がかかって来たようだけれども全然覚えてない。唯一覚えてるのは、10:34にかかって来た友達からの電話に出て、会話の途中で寝てしまって、おそらく15秒後ぐらいに目覚めて、ふぁぁあぁぁーん?と言った事だ。いや失礼・・

これからもう寝る前に電話の音止めとこうかな。



 

6日

6日は54回目の広島「原爆の日」だ。日本はもちろん、ここワシントンでも核廃絶や、平和な世の中を求める運動が行なわれているけれども、そういう市民レベルの運動が、国際政治に反映されず、今だに各国が軍事拡大をしている事は、本当に残念な事だ。


 

8日

コンピューターのファイルを整理していると、アメリカに来てすぐの頃の日記が出て来た。2ヵ月ほどで終わってしまっているけれども、来た当初の僕の気持ちが手にとれるようで、かなり面白かったです。恥ずかしいぐらい子供だったなあとも思うし、若々しくて良いのーとも思うし。とにかくこの3年間で、随分変化した雄一郎です。

インターンの仕事は、先週の金曜日で無事全て終了しました。最初思っていたよりも、かなり良い経験が出来て本当に良かったです。

昨日はヒュンジンと久しぶりに会って、韓国料理を食べに行きました。もう十日ほどしかないから、会いたい人と会っておかないと。



 

9日

昨日は被爆者の方々と教会に行ったりした。通訳は簡単ではなかったけれども、面白かった。夜は Brickskeller に飲みに行った。Brickskellerっては Dupont Circle の近くにあるパブで、世界各国のビールを飲む事が出来ます。(メニューはこちら)男4人で行ったので、帰りは Dupont Circle からマスアベをずっと歩いて帰って来ました。なかなか楽しかったぞ。


 

10日

昨日はまた、被爆者の通訳としてスピーチをして来ました。イベントは成功したので良かったと思います。

ところで、通訳、英文代読、翻訳などをする事は、滅茶苦茶責任がある事だなあって改めて思いました。いくら被爆者が訴える力のある日本語で語りかけても、それを英語に直して伝える通訳が、同じぐらいの感情のこもった流暢な英語で語りかけないと、被爆者の訴える力は無駄になってしまうからです。確かに被爆者に代わって英語でスピーチをする事は出来たけれども、僕が彼と同じぐらい力のあるスピーチをする事が出来たかというと、それは疑わしくあって、力不足を感じました。

翻訳の仕事をしていた時も、和英、英和の場合共に、何を筆者が本当に言いたいのかという事を、オリジナルの原稿から読み取る事が一番難しかったです。さらに、読み取った文章を、その裏にある感情を考慮した上で、出来るだけ同じような表現で、解かりやすく他言語に訳する事など、正直言って僕には手に余る仕事でした。英語力という問題だけではなくて、理解力や、表現力が、通訳や翻訳をする上で大切だなと思った次第であります。はい。

ところで昨日、バスの中で知らないおっちゃんに、「僕の家に遊びにこなーい?」って話し掛けられた。寄るなホモ親父。

お知らせ
僕もとうとう日本に帰国する事になりました。17日にDCを経ち、旅行に出かけ、日本時間27日3時ぐらいには関空に降り立つ予定です。したがってCafe Yuichiro は、3日後の、13日の金曜日をもって休店させて頂きます。再開は約1ヵ月後の9月中旬を考えていますが、それまではスターバックスで我慢して下さいね。それからメールは今後、cafeyuichiro@hotmail.com だけ有効です。


 

11日

チャイデリしちゃった。オーダーしてから来るまで時間がかかるけど、やっぱり Canal Express が一番うまい。そこの Combination Fried Rice や、Chicken Noodle Soup は、この3年間に何回僕の胃を満たしてくれただろう。もうすぐあのデリバリー兄ちゃんともお別れかと思うと、なんだか胸に込み上げてくるものがある。

そう考えてみると、何もかもが「最後○○」であるような気がしてきた。例えば・・・

  • 最後スターバックス
  • 最後図書館
  • 最後スーパーフレッシュ
  • 最後 Mary Kate
  • 最後 Alaxy
  • 最後バスのおじちゃん
  • 最後サットンプレスの女の子
  • 最後リス
  • 最後走る鳥
  • 最後あそこの自動販売機
  • 最後あそこのトイレ
  • 最後あそこの便器
  • 最後・・・
  • もう何もかもが最後○○で、その全てに対して挨拶してまわりたい。「お世話になりました。すんまへん。すんまへん。どうもお世話になりました。すんまへん!!!」

    僕の愛する○○達よ、今まで本当に有難う。僕はいつかここに帰って来るよ。その時また会えたらいいね。もし二度と会う事が出来ないとしても、精一杯生き続けてくれ。君たちの事は忘れないよ。

    ・・・とか言いながら、帰るまでに後二回ぐらいデリバリー兄ちゃんに会えそうだけど(笑)。


    完全休業中

    インターネット上では、今までまったく知らなかった人達や、遠く離れた所に住んでいる人達とも、毎日コミュニケーションをとる事が出来るというのが、素晴らしいと思う。そんな思いで、Cafe Yuichiro を開店してからすでに8ヵ月になります。お陰様で今日までほぼ毎日、楽しみながら更新をする事が出来ました。

    日々僕の周りで起こる面白い事や、僕が真剣に考える事を「つぶやく」毎日の約10分間は、僕に僕自身の生活を振り返る上で、とても良い時間となりました。その「つぶやき」や、エッセイなんかを皆さんが読んでくれて、「面白い」とか「うんうん、僕もそう思う」とかいう感想を送って下さる事は、僕にとって本当に嬉しい事でした。

    本当は昨日に更新して終わるはずだったんだけれども、都合で出来なかったので、今日の更新を最後にして、Cafe Yuichiro はしばらくお休み致します。日本に帰ってからも、毎日楽しく、色々考えながら暮らして行こうと思います。9月になって、新しい部屋が決まって、新しいコンピューターを買ったら、またお店を開こうと思います。ふらりと立ち寄って下さいね。

    Cafe Yuichiro 店長
    雄一郎
    PS 再オープンしたら教えてという方は、cafeyuichiro@hotmail.com までメール下さい。

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